第23号 「私の40年に亘るキャリア形成」−その1 独立開業への途(その5)

人材ビジネスで成功するヒント

第23号 「私の40年に亘るキャリア形成」−その1 独立開業への途(その5)

■独自の「商品やサービス開発力」は、ブログ読者のキャリア形成の中で、すでに十分 培われているのです!

人生80年時代(女性は90年時代)です。一度しかない人生です。悔いのない一生を送りたいものです。そのためには生涯に亘るキャリア形成を長期的に計画的にかつ戦略的に構築していかねばなりません。そのやり方は誰も教えてくれません。ただ一つ『一億人の就職道場 HP:http://www.1okunin.jp』でのみ、キャリア形成のノウハウを習得することができるのです。生涯に亘るキャリア形成は何といってもその道の成功者が「こうすれば、だれにでも満足するキャリア形成ができる」と自信をもってすすめる途をすすむことがもっとも安全、確実な方策だからです。だからこそこれまでに多くの人が『一億人の就職道場』で学ばれているのです。
私は、1965年(昭和40年)学校を卒業し実業界に入りました。当時はどんな会社で、どんな仕事をしたいかなど、キャリアの方向性は明瞭ではありませんでした。3年の時、面倒見のよかったゼミの先輩に、4年になったらよろしくと頼んでおいたところ就職シーズンに入り、こないかと誘われて、ある化学会社に入社しました。至って暢気なものでした。仕事についてもとくに希望があったわけではなく、成り行き任せという感じでした。配属は人事部でした。学校時代からなんとなく、歳を取ったら「やりたいことを、やりたいように、やる」ことは素晴らしいなと考えていました。そして、せっかく人事部に入ったのだから人事管理の分野において実務処理者として日本で一番になろうと決心しました。学者志望ではないので、人事管理に関する高邁な理論の勉強は不要です。実業界では実務処理能力すなわち職務遂行能力の優劣で勝敗が決まるのです。
先輩諸氏をみていると3年〜4年で他部署へ異動となっていきます。当時の大企業はゼネラリスト育成を人材育成の主眼にしていましたので、社内の仕事と人を知るために頻繁に人事異動を行いました。この現状を知り、私はこうしてはいられないと思いました。異動によってキャリアが分断されてしまうからです。
本日は、ここまで。次号をお楽しみに。

付記

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白根 陸夫白根 陸夫(しらね りくお)
プロフェッショナル・キャリア・カウンセラー®/
エイジング・アドバイザー®
認定エグゼクティブ・コーチ

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