第381号 「キャリア・コンサルタント」プロフェッショナルへの途(連載・その56)

人材ビジネスで成功するヒント

第381号 「キャリア・コンサルタント」プロフェッショナルへの途(連載・その56)

白根陸夫のブログの読者の皆さま今日は、白根陸夫です。今日はテーマを変えました。「人材コンサルタントのコラム」です。新規事業である「職業紹介事業部」が昨年10月スタートしました。事業の詳細は、HP http://careerbrain.net/ をご覧ください。さて、「職業紹介事業部」の機能である人材紹介やあっ旋は、「人材コンサルタント」の仕事です。PCC(プロフェッショナル・キャリア・カウンセラー養成講座)、PSC(プロフェッショナル人材コーディネーター養成講座)、ECO(認定エグゼクティブ・コーチ養成講座)卒業生には人気の高い職業です。しかし、実際にどんなことを考えながら日々仕事をしているかについて、業界経験者でない人にはなかなか想像がつかないと思います。そこで、第343号から人材コンサルタントのコラムという題で、都度、活躍の様子を伝えてまいります。現在この事業には、四名の人材コンサルタントが従事しています(いずれもPCC又はECO卒業生です)。ご愛読よろしくお願いします。
【人材コンサルタントのコラム<第34信>タイトル:40歳代〜50歳代外資系企業経験者のさまざまな転職】
大川祐弘コンサルタント(職業紹介事業部長・満72歳)
*40台後半の欧州系外資金融で長く勤務された男性がいました。
マネージャーよりもう一つランクの上の地位で、外国為替、資金のヘッドでした。
英語力、仏語力とも上級で、転職先は容易に見つかるように思われました。
面談してみると、次の職場は、教育・文化関係に変わりたいという強い希望がありました。その後、欧州系の会話・語学校の事務局長の求人の案内を出しました。
年収は3分の1位に減ります。返事はありませんでした。暫くして、国際交流団体の経理兼事務局長の求人(年収は約半分です)を案内しても梨の礫でした。
*40台後半の男性がいました。バブル(1980年代後半—)に外資の投資関係、経営管理・営業管理等の為に外国人が大挙して来日して、東京の不動産・社宅を探し求めました。
余談ですが、私自身も3~40件の物件を不動産屋さんの車に乗って、支店長とマネージャーたちの社宅を探しに半日ほどつぶして、都内の不動産を約1ヶ月かけて、下見に行った事があります。
当時は、家賃月30〜100万円位の物件に人気がありました。
彼は、英語力・交渉力がありましたので、大きなビジネスをしていたようです。
しかしバブルが弾けて外国人たちは,皆本国に帰りました。そして仕事もなくなりました。代わりの仕事を随分探しましたが生憎今までの経験を活かす求人は見つかりませんでした。窮余の策として、タクシーの運転手をして食い繋ぐような日々が続いています。 【次号に続く】




白根 陸夫白根 陸夫(しらね りくお)
プロフェッショナル・キャリア・カウンセラー®/
エイジング・アドバイザー®
認定エグゼクティブ・コーチ

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